Wednesday, July 04, 2007

Independence DayのBeach

今日はAmericaのIndependence Dayで休日です。休日が週のど真ん中の水曜日に当たっていて明日はまだ木曜日なのに土曜か日曜のような感じがして何だか曜日の感覚がずれてしまいます。

Independence Dayには花火がつきもの。夜になるとあちこちのBeachや公園で花火が見られます。どのBeachも海水浴の人やCampの人で混んでいるのですが、それでもせっかくの休日なのでFalse Dataと私は昼間あまりこまないBeachを探して散歩に出ました。Americaの海水浴場で水着の人をみるたびに思うことは、いつも同じです。「太目の人が多いなー。」

Americaは世界一Obeseのひとが多い国で、この問題がHealth and Social problemになっています。Obeseまでいっていない太めの人は本当に多いので、日ごろはもう見慣れてしまっていてそれほど意識しないのですが、海水浴場で水着姿の人を見ると「ああ、やはりこれは確かに問題だなー」とあらためて実感します。車で移動する生活、それに伴う運動量の減少、食べ物と食べる量、何百とあるTVのチャンネル、ServiceやComputerや事務系の仕事の増加に伴う座っている時間の増加、などいくらでも原因となりそうなことは思いつきます。これら全体を含めて考えると、OverweightやObesityはAmerica人の多くの人のLife style そのものに関連しているように思われます。

Sunday, May 27, 2007

False Data IS JD!

False DataのLaw Schoolの卒業式が先日ありました。彼もついにJDです!とても嬉しいです!

でも、喜んでばかりもいられません。Bar Examを通らないと本当のLawyerとしてのCertificationがもらえません。彼はこの7月の末にBar Examを受ける予定で、それへ向けてBar Exam Prep. School(Bar Examのための予備校のようなものです)に行って勉強を開始しました。このPrep. School、もちろんAmericaのものなのですが本当に日本の大学受験予備校がやるような指導の仕方をします:Classも宿題も月曜から土曜まで毎日あり、模擬試験も頻繁で、答案の書き方の指導が模試に基づいて行われる、といったものです。

日本人にとってはおなじみの予備校教育ですが、アメリカ人にとってはあまりなじみのないもののようです。False Dataも「土曜までClassがあって日曜の分まで宿題が出るなんて!」といっていました。

Flying lesson

前回のBlogからあっという間に2ヶ月が過ぎてしまいました。気候が良くなってきてFlying Lessonsに週末を取られるようになってからなんとなくBlogを書く機会を逃していました。

でも、週に2回ぐらいFlying Lessonsに行くと上達が早まるから結構面白くなるんですよね。今の難関はPower-on stall and recoveryです。これはなかなかきています。Take-off speedとFull powerの状態でAirplaneがStallしたときにどうするかという練習です。離陸時にあまり急激に角度を上げすぎるとAirplaneを空中に浮かせるのに必要なAerodynamicsが働くなり、AirplaneのNoseがガックンと急激に下がります。ようするに、飛ばなくなって落ちる状態になるわけです。で、この状態からどのようにして飛ぶ状態に回復するか、というSkillを練習をするわけです。この、ガックンとなったときが冷や汗ものなんです。地上から3500-4500Feetの上空でやっていますし回復の仕方は意外と簡単なので、地上に追突することなんてまずないと頭ではわかっているのですが、でもちょっと怖いですよ。

回復法は、ちょっと下へ向かってそのまま飛ぶだけです。Full powerですからあっという間にSpeedがついてAirplaneを空中に浮かせるのに必要なAerodynamicsが回復し機体はすぐに浮上します。まあ、そう簡単に墜落するようにはできていないわけです。と、わかっていてもやはりこの練習はちょっといやなんですよね・・・ 明日もこの練習です。

Saturday, March 31, 2007

日本の高校生の学力格差について

Web versionの朝日新聞をみていたら広がる高校生の学力格差に対応するために教科書の内容の程度が二極化されている、ということがのっていました。高校にくるまでに基礎的な数学(分数など)がわかっていなたっかり英語のAlphabetが書けないといったような学生向けの教科書内容は漫画をふんだんに取り入れたり中学レベルの教育内容の復習を含めているのだそうです。その一方で一流大学受験を目指す学生向けの教科書は受験内容やアインシュタインのTheoryを含めたりしているそうです。友達から大学へ来てもまともに漫画の筋を追うことができないような学生がいるとは聞いていましたが、上と下の格差の広がりに改めて驚かされました。私がAmericaへ来たのは1989ですが、そのころはこんなに大きな差はなかったのではないか、と記憶しています。

でもこれは深刻な問題ですね。日本の高度成長期を支えていた要素のひとつはみんなが等しくある程度レベルの高い教育を受けていたことだ、というのは良く知られた事実だと思います。Health Care+Social Service Research(私の分野です)でもEducation levels とIncome LevelsのあいだにPositive linear relationshipがあることは自明の理として受け取られています。一部の人たちだけしか高い教育を受けられなかったり全体の教育のレベルが下がったりすれば社会全体の経済力や生産性に影響しかねません。別に高度成長期の回顧主義に浸っているわけではないのですが経済的状況があまり良くない日本にとって格差を重んじるかのような社会的風潮(「勝ち組」とか「負け組」などの言葉がはやったりする状況)について考え直し、教育という面においてだけでももう一度みんながある程度高い教育レベルであるという状況作りを目指すことは社会の経済発展にとって大切なのでは?

Saturday, March 17, 2007

Captain Americaの死について

Captain AmericaというAmericaの漫画のヒーローをご存知ですか?1941年に反ナチの代表的ヒーローとして初登場して以来いろいろな変化を経てアメリカ人のPublic Opinionの体現者てきヒーローに成長し、アメリカ人の多くの人に愛されてきたました。このヒーローがつい最近射殺されたということが結構大きいNewsになりました。私もちょっと驚きましたね。日本にもこのNewsが伝わりましたか?60年以上もアメリカ人に愛されてきたヒーローだけにCaptain Americaの死はただの漫画の主人公の死以上のSymbolicな意味があるようです。どのような意味なのかは以下のBlogをみてください。これは私がFalse DataのBlog siteに掲載したものです。

False Data sent me an article about the death of Captain America. I was actually surprised to see it since he seemed to be a part of the American cultural legacy. He has been around longer than I have been. He also seems to have been through so many events such as wars and scandals with the American public. His stories have generally represented American public opinions at the time. For many comic book readers or maybe for others beyond this group of people, he might have been somewhat as real as a living-breathing hero can be.

Why did the comic book editor/writer decide to kill him? The article writer mentions:

Captain America has always been used by Marvel to represent the general consensus in U.S. politics.

When Americans can't even agree on the principles their nation is supposed to uphold, killing off a symbol like Captain America makes perfect sense.


I think it’s a good analysis. The article writer indicates that, with his own death, Captain America still represents the status of American public opinion – the lack of the principles and/or death of consensus.

Saturday, March 10, 2007

入試の季節によせて

False Dataの受けるテストの規定の中に「Bring 2 #2 lead pencils or 2 mechanical pencils with HB lead」ということが明記されていました。鉛筆の濃さから本数まで細かに規定するあたりがLawyerの試験らしいと思いました。False Dataは「消しゴムについては何の規定もないからもって行ってよいのかわからないな。まあ、消しゴムつきのMechanical pencilsでも持っていけばいいだろう。」なんて言っていました。鉛筆と消しゴムをテストに持っていくのは当然、とは思わないようです。テストの規定にはっきり明記されていないことは「わからないこと」なのです。

日本だとテストを受ける学生は言われなくとも鉛筆と消しゴムぐらいは自分で持ってくると思います。試験を提供する側もそれを当たり前と取っていて、そうしない学生がいると「何を考えているのか?やる気はあるのか?」などど考えたりすると思います。

このような日本の学生とちがってアメリカの学生はめったに鉛筆を使わないし、ボールペンでノートを取ったりテストの答えを書いたりすることが多いし、間違えをぐちゃぐちゃとボールペンで塗りつぶしたり線を引いたりして見えなくするなどしょっちゅうだし、ペンの色も黒や青だけでなく赤だったり紫だったりします。「どんな色でも答えがキチンと読めるように書いてあればいいじゃないか」という感じです。マークシートのテストでもちゃんと言っておかないと「あら、鉛筆が必要だったの?そんなことテストの規定に書いてなかったから知らなかったわ」とか「忘れちゃった」と平気で言って試験官に「鉛筆を貸してください」と聞きます。でも、そういう学生が「A」をと取ったりするので頭が悪くてこのようにしているわけでもやる気がないわけでもないようです。

このような一見「言われなければわからない」かのようなアメリカ人の傾向は能力の問題というよりは「察する」とか「一を言われたら十を知る」ということがあまり期待されていない文化的背景から来ているのではないかと思います。日本で言う「察する」能力は家庭や学校での人間関係の中で小さいころから少しずつ訓練されなければ育たないものだと思います。アメリカ文化のなかではそのような訓練はあまりなされない、というだけの話でしょう。でも、このような能力が期待されている日本文化のなかでこれができないと問題かもしれませんが・・・・

Professional Responsibility Exam

False DataがLawyerになるための第一関門であるProfessional Responsibilityのテストを今日受けています。Lawyerとしての行動や態度、どのようにClientsのConfidentialityを守るかなどのProfessionalとしてのRuleのテストです。一生懸命勉強していたし多分Passすると思います。

Sunday, March 04, 2007

アメリカ人の暇つぶし:Shopping Mall

アメリカ人のもっともお気に入りのPass timeの方法のひとつはShopping Mallをぶらつくこととだ、といわれています。ちなみに一番のお気に入りのPassing timeの方法はテレビをみていることだそうです。実際、WeekendにMallに行くとクリスマスShopping時でもないのにParkingに困るくらい混んでいます。家族連れからTeensまでわれもわれもといわんばかりです。私は姪の誕生日のカードとGAPのGift Cardがほしかっただけだし人ごみのShopping MallをぶらつくのはかえってStressがたまるのでいつもJust getting in, getting stuff I need, and getting outです。男の買い物みたい、と言われそうですね。

なんでShopping Mallがこんなにお気に入りの場所なのかなー、と人ごみのきらいな私は思います。False Dataもこういうところは好きではないのですが、彼は「みんな日常生活から失われてしまったSense of Communityを求めているのではないか?」と言っていました。確かにアメリカ人はよく引越しをするので、地域との結びつきが薄くなりがち、というのは事実でしょう。でも、私はアメリカの巨大なShopping MallでSense of communityが得られるとは思えないです。巨大な分Anonymousだし混んでいるし。あそこはむしろCommunityというより比較的治安が良くいろいろ目を楽しませてくれるものがある手軽な遊園地のようなものではないかと思います。

Saturday, March 03, 2007

日本語会話力が落ちてしまった!

この8月に日本を訪ねられそうです。5-6年ぶりなのでちょっと緊張ですね。私は多分バタ臭い変な日本人に見えるのだろうなー、などと思っています。今日は日本のTravel CompanyのアメリカOfficeのひとつに行って航空料金とか外国人向けの日本ツアーなどの情報を手に入れてきました。外国人向けのツアーに乗ってしまうとTravel Companyのほうで英語のガイドをつけてくれたりするようで、日本語の話せないFalse Dataには都合が良いし、私が通訳する必要もないのでかえって楽です。

応対してくれたTravel Companyの方はもちろん日本人でやり取りはすべて日本語。あっと驚いたことに、私はまともな日本語の会話ができない!このごろ日本人と向かいあって日本語でやり取りすることがほとんどないので会話力が落ちている!特にアメリカ人向けの日本ツアーのパンフレットはすべて英語で書かれておりそれをみながら日本語で会話をしようとすると思考が英語で走って行こうとしたり、それをあわてて日本語に置き換えたりと忙しくなり、文法や単語にまとまりがつかなくなってきて結局変な日本語の文章で話すことになってしまいました。ちょっとなさけないですねー。かといって私の英会話力はPerfectではないのです。このMeetingのあとでなんだか頭の統一が取れない感じでちょっとの間妙な気分でした。(下手でもなんでもとにかく)英語で日ごろお仕事をしたり会話をしているので頭がそれに慣れていて、いきなり日本語でものを考えながら会話をする状況に頭がついていけなかったということでしょう。

Saturday, February 24, 2007

アメリカのお寿司

我が家から20分ほどのところにとてもおいしいお寿司を食べさせる店があります。アメリカにきて10年以上たちますがここが今のところBestですね。Sushi Otaという何のへんてつもない名前でしかもLocationもいまいちパッとしないSeven-ElevenとCar Dealerにはさまれた所ですが、いつもとても込んでいます。日本人のお客さんもたくさん来るようです。このお店のHeartはTraditionalな日本のお寿司にあるようでこの手のお寿司はおいしいのですが、アメリカ風のCalifornia Roll(Fakeの蟹とAvocadoが入っている)とかPhiladelphia roll(Cream Cheeseと野菜)とかはまあまあですね・・・

アメリカ人で「私寿司大好き!」という人の多くはこのアメリカ風寿司が好きな場合が多いようです。純日本風寿司(Simpleなマグロやハマチのにぎり)に飛びつくアメリカ人はなかなか見かけません。アメリカ風の寿司はCalifornia Rollのほかにもいろいろあって天ぷらが巻いてあったりロブスターが巻いてあったりCheeseやAvocadoや照り焼きのChickenが入っていたりとまあいろいろです。面白いには面白いしまずくはないのですが、私はやはりSimpleな純日本風の寿司の方がおいしいと思います。

寿司もアメリカに上陸するとやはりアメリカ人の好みに合うようにArrangeされるらしくて肉とかCheeseとか脂っこい天ぷらとかが具として入ってくるのは仕方ないのでしょうね。でも、つい「こういう食べ物の好みだからこの国にはObeseの人が多いんだよなー」と思ってしまいます。

Friday, February 16, 2007

Working Holiday

三連休の週末です。月曜日がPresident Dayでお休みです。でも、あまり休めません。お仕事も少しかたずけなければならないし、Pilotになるための筆記試験の勉強もしなければならないし、書き直さなければならないPaperもあるし、家事もある。こんなときEast Coastのように思いっきりドカ雪でも降って交通でも麻痺すればやれることが減るので、かえってやらなければならないことに集中できてよいかもしれない、なんて勝手に思ったりしています。

Californiaというところは晴れの日が多く雨もろくに降らないので仕事や生活のペースが天気に左右される、ということがあまり起こらないのです。でもちょっとでも雨が降ると不便なことがおきます。交通が乱れたり事故が起こったりしがちなのです。どこだってそうだ、といわれそうですがCaliforniaではこの傾向が顕著なように思えます。Californiaの多くのDriversは晴れの日の運転にしか慣れていません。雨の中のSafe Drivingのやり方を知らないので、ちょっとでも雨が降ると妙な運転の仕方をしたり事故を起こしたりしがちのようです。

ペンギンお守り?

バレンタインデーの数日前に日本のあるラジオのWeb-Castingから妙なAnnouncementが流れてきました。何でもある地域の水族館がバレンタインデーにちなんで「ペンギンお守り」とか「ペンギンおみくじ」とかいったようなものを発売したそうです。ペンギンのカップルの仲のよさと一生懸命子育てをすることにあやかりたいカップルはどうぞこのお守りを買ってください、ということらしいです。思わず笑ってしまいました。ペンギンのカップルは確かOne seasonしか続かないんですよね。つまり子育てのSeasonが終わってしまえばそれっきりで、翌年のMating seasonにはたしか新しい相手を探すのだと思います。だから、バレンタインデーに本当にペンギンのカップルにあやかりたいカップルは「きっとOne-night-standを求めているんだー」なんて、False Dataが笑いながら言っていました。Heh, Heh, Heh ..... ;->

Thursday, February 08, 2007

日本の臨床心理の未来

日本では臨床心理士(Clinical Psychologist)の資格制度があるにはあるのだがProfessional jobとしての社会的Statusがない、というとアメリカ人は驚きます。アメリカではClinical psychologistといえば、確立したProfessionalだからです。Ph.D.をとった上資格試験をパスし、しかも一定期間の研修 を積まなければなれません。そう簡単になれるものではないので社会的なStatusも高いです。

こちらへ来て思ったのはこの臨床心理とかPsychotherapyというのはアメリカの個人主義文化にあっている、ということです。アメリカ人は、概して自分で自分の問題に気づきそれを自分で克服していく過程で助けがいるのなら借りればよい、という合理的な考えをするようです。精神的な問題があるFamily memberを家族が丸抱えにすることもあまりないようです。病気なら医者にすぐに診せて治療をすすめるのを助けることが家族としてのLoveだと思うようです。ここに「みっともない」とか「恥ずかしい」とか「世間体が悪い」とかいった考えはあまり入ってこないようです。でも、もちろん表立って助けを借りることを好まない人も多いですから、個人的にConfidentialな関係のなかで他人に知られずに助けを借りられるPsychotherapyというのはまさにアメリカ人のNeed と好みにぴったり、といった感じです。このようなアメリカ人の好みや文化的背景がClinical Psychologistがプロとしてやっていける土壌を作っているようです。
 
逆に、この土壌がなければClinical psychologistのProfessional statusはなかなか確立しないと思います。日本にこの土壌があるでしょうか?私はあまりないと思います。Mental health professionalに対するNeedsが増える中、あわててアメリカ風のPsychotherapyやCounselingを持ち込んだり、日本の臨床心理士国家資格制度を作ったりしてもどれだけ受け入れられるでしょうか。日本のMental health problemsをしっかりと研究調査しその結果に基づいてこれらの問題に対する解決法を立ててゆけるProfessionalの養成を考えるべきでは?

Sunday, February 04, 2007

「女性は子どもを産む機械」発言について一言

これはひどい!と思いました。女性を機械にたとえるということは女性の人権を無視しているともとれる発言ですね。それに間接的に男性の人権も無視されているように思います。というのは、女性が子どもを産む機械ということは、女性の妊娠にかかわる男性は人間として家族の一員として女性とともに家族計画にかかわっているのではなく、機械の子ども製造に手を貸すだけの種馬的存在と見られているとも取れるからです。

このNewsはアメリカのCNN World Newsにも載りました。「Japan's top government spokesman said on Monday the health minister should stay in his post despite a furore over his reference to women as "birth giving machines," but pressure to resign looked unlikely to fade.」

柳沢厚生労働相は職務を全うしたいとのべたようですが、このての発言を公でしてしまう柳沢氏の政治家としての良識や手腕に疑問が残るように思います。False Dataは「個人の人権を無視するかのような発言をする政治家なんてアメリカではあっという間にお払い箱だ」といっていました。私も個人的にはもっと適切な人物を厚生労働相として任命するほうがよいように思います。厚生労働相のような国民の社会福祉、公衆衛生、医療、労働問題を取り扱う機関のTopにいる大臣が人権をないがしろにするかような発言をしたのではちょっと安心してこれらの問題を任せられない気がするので。

Sunday, January 28, 2007

Protein Diet

日本の友達からいんちき日本版Protein Dietの話を聞きました。「納豆ダイエット」というのがTVのある番組で放送されて大人気になり納豆がどの店からも消えるくらいよく売れていた。しかし、先ごろこのダイエットは番組が作り上げたでっち上げのダイエット法でこのダイエットが効果的だということを示すデータもすべて捏造されていたそうです。なんだかひどい話ですね。でも、多くの人がのってしまった、というあたりもちょっと驚きですが・・・ やはり、ダイエットに近道なんかないのでしょう。

アメリカにも似たような話があります。アトキンスダイエットは結構以前から存在しているLow-carb, high-proteinダイエットで、肉を結構大量に消費させます。Dr. Atkinsという人が考案者で、実際本人も実践していたようです。「そんな肉ばっかり食べたらFatやcholesterol値が上がってまずいのではないかなー」と思っていたら、さなごとく、このDr.が心臓病で死にみんなが「なんだ、このダイエット法はCholesterol値が高くなってやせるどころか心臓病で死んでしまうではないか!」と気づいたなどという話があります。

何年か前、私の知っているアメリカ人でこのAtkins dietに似たProtein dietをやっている人がいて「体重が落ちるから効果がある。やってみてはどうだ」と熱心に進めるのでちょっと試してみたことがあります。私はDietの必要などないのですが興味があったのでちょっとやってみました。なんと、朝からCottage cheeseや肉やヨーグルトやその他の「Protein」類をかなり大量に取らなければならず、私はあっという間にお腹の具合が悪くなり、すぐにやめてしまいました。 「日本人はご飯と味噌汁と漬物で育っているから、朝からこんなに動物性たんぱく質なんて取れるようにはできていないの。このダイエット方法はきっと動物性たんぱく質で育った人(アメリカ人)にはあうかもしれないが私の体質にはあわないから続けられない」といったら、彼女は「なるほど」といった顔をしつつも「私お腹がへってしかたないけど・・・」といっていました。やはりアメリカ人(少なくとも白人)はその昔Hunting and Gatheringをやっていた人々の子孫だから日本人のような農耕民族よりも動物性たんぱく質をもっと消費できるようにできているのかなー、と思いました。

Friday, January 26, 2007

国民健康保険 と「軽い」アメリカ人気質

数日前、Washington Post紙がNational health insurance(国民健康保険)を支持する人やBusinessが増え始めたといったようなことを書いていました。この支持増加の原因をいくつか考えてみました。アメリカは昨今医療費がものすごいスピードで年々増加していて、それに伴って保険料が高くなり多くの雇用主や一般企業が保険料の負担にあえいでいること、会社員に健康保険を支給できない会社の増加、それに伴うUninsuredの人の増加、そして頼みの綱だったManaged care systemも結局医療費増加の歯止にならなかった、などといったことが原因かもしれませんね。

アメリカは先進国の中でただひとつの国民健康保険を持たない国です。Tax baseのMedicareやMedicaidはあるのですが老人や貧しい人や障害者が対象で国民全員が対象ではないです。以前に国民健康保険のことが大きく取り上げられたのはクリントン大統領の初期のころです。でも、その時はこのIdeaは反対にあってつぶされました。 表向きは自分で気に入ったHealth insuranceを自分で選ぶ権利や選択肢が狭まる、とか何とかいうことでしたが、本音は大手のInsurance Companiesが自分の利益を失うのを恐れた、とか保守派が国民健康保険を維持する税金の増加に大反対した、とかいうあたりですね。

アメリカ人の中にはカナダの医療制度と国民保険制度を見て「あれはいいなー」と思っている人が結構いるように思います。でも、個人主義の核の一部になる自分で選ぶ権利や選択肢が阻害される、といった議論をされるとすぐにあっさり納得して「あ、やはりやめよう」と思ってしまうようです。で、あとでまた自分たちの医療費の請求書をみては「ああ、やはりカナダはいいなー」と思ったりするようです。この「軽さ」がアメリカ人のよさでもあり欠点でもあり、だと私は思っています。

イルカの群れ

VenturaからSanta Barbaraまでの30分のあいだ、AMTRAKは海岸沿いを走ります。このあたりの太平洋の景色はいつも本当にきれいなので毎週見ていても飽きません。私のささやかな楽しみは、この景色を見ながらイルカの群れを見つけることです。今日は小さい群れを三つほど見つけました。イルカの群れは上げ潮のときは比較的海岸沿いに近づくようでちょっと注意して見ていると比較的簡単に見つかります。でも、引き潮の時は見つかりません。イルカは大きいので引き潮の海岸は浅すぎて近づけないのでしょうね。

Saturday, January 20, 2007

地球温暖化と車に頼る生活

地球温暖化現象が問題になってからだいぶたちますが、この現象の存在を受け入れているアメリカ人はどちらかといえばLiberalな層で、アメリカの保守層にはまだまだ受け入れていない人も多いようです。つい最近Weather ChannelのWeb siteのブログに、ある研究者がこの温暖化現象について書き込みをしたら、ものすごい勢いで保守層が反発してきてコメントの雨あられだったそうです。私もちょっとこのコメントをのぞいてみました。 大半が「こんなことはおきていない。これは単なる地球の気候や環境変化のサイクルの一部にすぎない。」という見方か、「それは、Liberalな連中の考えることにすぎない」といった感じのリアクションのように見えました。でも、ちょっと驚きましたね。

考えてみれば地球温暖化現象の原因の克服についてひそかにジレンマを感じているアメリカ人は多いのではないかなー。原因のひとつとして上げられている化石燃料を燃やすことによって生じるCO2 の量はアメリカが世界一。ガソリンが比較的安くて車をガンガン乗りまわすアメリカ人のLife StyleもこのCO2 Emissionの量に関係している、といわれています。では、このLife Styleを変えて車に頼らない生活に変えればよい、といわれそうですがそれが難しいところです。というのは都市や住宅地の構造や道路などのInfrastructureが車で移動する生活に向くようにできてしまっているからです。

こちらで生活していてわかるのですが、この国の生活は車がないと成り立ちません。歩いていけるところに店があるなどということはなかなかないし、電車やバスは「足」となるほど便利ではなく本数も少ない。だから車を運転できないと買い物にも困ってしまうし、仕事や学校や病院にもなかなか行けなかったりします。車が本当に生活の一部になってしまっていていまさら「排気ガスが多いから車に頼るのを控えなさい」といわれても簡単に控えられるものではないでしょう。よい環境の大切さを否定する人はいないと思います。と、同時に車の運転をしないと生活していけません。排気ガスを垂れ流すような生活は環境にとってはよくないと頭でわかっていてもそれをやらないと生活がなりたたない、ここにジレンマが生じるのでは?

私も夫も毎日運転しています。内の車はPriusではないです。CO2の増加に貢献しているなーと思いつつ、今日は車で夫と朝食を食べに行った後、食料の買出しにでかけました。

Thursday, January 18, 2007

ちょっと恐いFlu Virusの話

まだインフルエンザが治りません。まったくこんなにしつこいのは始めて!家からTel-Commuteで休み休みお仕事をしている今日この頃。でも、こんな状態ですからつい風邪の話に目が向きます。Google Newsをみていたらカナダの研究者が1918年のSpanish Fluの大流行で亡くなった人からFlu VirusのGeneをとってこの恐るべきFlu Virusを培養するのに成功したとか。で、実験動物にこのVirusを移植して経過を観察し、どうして5千万人ものそれも若い人がこのFluで亡くなったかをつきとめたそうです。このVirusは免疫システムを過剰に働かせることによって肺を液体でいっぱいにしてしまうそうです。つまり、我々陸の生き物を陸の上で溺死させてしまう、ということなのでしょう。わー、気持ち悪い・・・。H5N1 Avian flu virus はこれよりもっと強力らしいです。

だいたい、Virusなどという生き物の定義を満たさないようなとても単純なつくりの「もの」は地球上に生命が生まれたころから存在して変幻自在に姿を変えつついろいろな環境に適応してきたのでしょう。きっと、核戦争のあとでも生き残り、何かHostとなるものがあれば寄生して増殖するのでしょう。咳止めの薬で少し頭がボーッとしているのでなんだかすごく妙な考えに発展してしまいました。このくらいにします。

Tuesday, January 16, 2007

夢の飛行機

左記のなかなかシャープなお気に入りの写真についてです。写真家のEd Hicks氏によるものです。この飛行機はKit planeで、RV7という機種です。Kit planeというのは個人が小型飛行機の部品を買ってそれを組み立てて作った飛行機のことです。ラジコンではないです。本物のセスナのような飛行機です。日本ではまだなじみの薄い趣味だと思いますが、Kit plane作りを趣味とする人がアメリカのPrivate pilotのなかには結構はいます。うちの夫もそんなPrivate pilotの一人で、内のガレージの一角で暇を見つけては組み立てています。出来上がればこの写真の飛行機に似たものが我が家の飛行機となるはずです。手作りでも飛ばすにはパイロットの免許が必要なので、私もPrivate pilotの免許をとるためにFlying lessonsをとっています。早くこんな飛行機を飛ばせるようになりたい!

Monday, January 15, 2007

ようこそ+アメリカで病気になったとき

ようこそ、GOMIHEADへ。

なんでもとにかく詰め込んである場所、というあたりが「GOMIHEAD」というタイトルの由来です。政治や科学の話から日常の些細な事までいろいろ入ってくると思います。どうぞお気軽に足を運んでください。

というわけで、アメリカの日常生活の一部、病気になったときについてです。というのは私が今、インフルエンザになってしまっているからです。やれやれ。こういうとき思うのは、日本の医療制度はよかったな、ということです。アメリカの医院や病院は救急室とかUrgent ClinicやWalk-in clinicをのぞいてほとんどすべてが予約制なので、気軽出かけて待合室で1-2時間も待てばみてもらえる、ということがなかなかないです。具合が悪いとき今すぐみてもらいたいと思うのが病人の心理ですが、それでも、予約を入れなければならない。一週間は待たされる、なんていうこともざらです。じゃあ、馬鹿馬鹿しいから家で寝ている、ということになります。まあ、インフルエンザの特効薬なんてないし売薬でよく効くものも多いのでそれを飲んで寝ていることにしました。明日のお仕事は家からのTel-Commuteになるかもしれない・・・

Saturday, January 13, 2007

This is a test

I just found that I can post Japanese written blogs in the Blogger. I'll try to write something in Japanese later.

今気づいたのですが、日本語でも書けますね。今後おりをみては何か書いてみます。