Saturday, March 31, 2007

日本の高校生の学力格差について

Web versionの朝日新聞をみていたら広がる高校生の学力格差に対応するために教科書の内容の程度が二極化されている、ということがのっていました。高校にくるまでに基礎的な数学(分数など)がわかっていなたっかり英語のAlphabetが書けないといったような学生向けの教科書内容は漫画をふんだんに取り入れたり中学レベルの教育内容の復習を含めているのだそうです。その一方で一流大学受験を目指す学生向けの教科書は受験内容やアインシュタインのTheoryを含めたりしているそうです。友達から大学へ来てもまともに漫画の筋を追うことができないような学生がいるとは聞いていましたが、上と下の格差の広がりに改めて驚かされました。私がAmericaへ来たのは1989ですが、そのころはこんなに大きな差はなかったのではないか、と記憶しています。

でもこれは深刻な問題ですね。日本の高度成長期を支えていた要素のひとつはみんなが等しくある程度レベルの高い教育を受けていたことだ、というのは良く知られた事実だと思います。Health Care+Social Service Research(私の分野です)でもEducation levels とIncome LevelsのあいだにPositive linear relationshipがあることは自明の理として受け取られています。一部の人たちだけしか高い教育を受けられなかったり全体の教育のレベルが下がったりすれば社会全体の経済力や生産性に影響しかねません。別に高度成長期の回顧主義に浸っているわけではないのですが経済的状況があまり良くない日本にとって格差を重んじるかのような社会的風潮(「勝ち組」とか「負け組」などの言葉がはやったりする状況)について考え直し、教育という面においてだけでももう一度みんながある程度高い教育レベルであるという状況作りを目指すことは社会の経済発展にとって大切なのでは?

Saturday, March 17, 2007

Captain Americaの死について

Captain AmericaというAmericaの漫画のヒーローをご存知ですか?1941年に反ナチの代表的ヒーローとして初登場して以来いろいろな変化を経てアメリカ人のPublic Opinionの体現者てきヒーローに成長し、アメリカ人の多くの人に愛されてきたました。このヒーローがつい最近射殺されたということが結構大きいNewsになりました。私もちょっと驚きましたね。日本にもこのNewsが伝わりましたか?60年以上もアメリカ人に愛されてきたヒーローだけにCaptain Americaの死はただの漫画の主人公の死以上のSymbolicな意味があるようです。どのような意味なのかは以下のBlogをみてください。これは私がFalse DataのBlog siteに掲載したものです。

False Data sent me an article about the death of Captain America. I was actually surprised to see it since he seemed to be a part of the American cultural legacy. He has been around longer than I have been. He also seems to have been through so many events such as wars and scandals with the American public. His stories have generally represented American public opinions at the time. For many comic book readers or maybe for others beyond this group of people, he might have been somewhat as real as a living-breathing hero can be.

Why did the comic book editor/writer decide to kill him? The article writer mentions:

Captain America has always been used by Marvel to represent the general consensus in U.S. politics.

When Americans can't even agree on the principles their nation is supposed to uphold, killing off a symbol like Captain America makes perfect sense.


I think it’s a good analysis. The article writer indicates that, with his own death, Captain America still represents the status of American public opinion – the lack of the principles and/or death of consensus.

Saturday, March 10, 2007

入試の季節によせて

False Dataの受けるテストの規定の中に「Bring 2 #2 lead pencils or 2 mechanical pencils with HB lead」ということが明記されていました。鉛筆の濃さから本数まで細かに規定するあたりがLawyerの試験らしいと思いました。False Dataは「消しゴムについては何の規定もないからもって行ってよいのかわからないな。まあ、消しゴムつきのMechanical pencilsでも持っていけばいいだろう。」なんて言っていました。鉛筆と消しゴムをテストに持っていくのは当然、とは思わないようです。テストの規定にはっきり明記されていないことは「わからないこと」なのです。

日本だとテストを受ける学生は言われなくとも鉛筆と消しゴムぐらいは自分で持ってくると思います。試験を提供する側もそれを当たり前と取っていて、そうしない学生がいると「何を考えているのか?やる気はあるのか?」などど考えたりすると思います。

このような日本の学生とちがってアメリカの学生はめったに鉛筆を使わないし、ボールペンでノートを取ったりテストの答えを書いたりすることが多いし、間違えをぐちゃぐちゃとボールペンで塗りつぶしたり線を引いたりして見えなくするなどしょっちゅうだし、ペンの色も黒や青だけでなく赤だったり紫だったりします。「どんな色でも答えがキチンと読めるように書いてあればいいじゃないか」という感じです。マークシートのテストでもちゃんと言っておかないと「あら、鉛筆が必要だったの?そんなことテストの規定に書いてなかったから知らなかったわ」とか「忘れちゃった」と平気で言って試験官に「鉛筆を貸してください」と聞きます。でも、そういう学生が「A」をと取ったりするので頭が悪くてこのようにしているわけでもやる気がないわけでもないようです。

このような一見「言われなければわからない」かのようなアメリカ人の傾向は能力の問題というよりは「察する」とか「一を言われたら十を知る」ということがあまり期待されていない文化的背景から来ているのではないかと思います。日本で言う「察する」能力は家庭や学校での人間関係の中で小さいころから少しずつ訓練されなければ育たないものだと思います。アメリカ文化のなかではそのような訓練はあまりなされない、というだけの話でしょう。でも、このような能力が期待されている日本文化のなかでこれができないと問題かもしれませんが・・・・

Professional Responsibility Exam

False DataがLawyerになるための第一関門であるProfessional Responsibilityのテストを今日受けています。Lawyerとしての行動や態度、どのようにClientsのConfidentialityを守るかなどのProfessionalとしてのRuleのテストです。一生懸命勉強していたし多分Passすると思います。

Sunday, March 04, 2007

アメリカ人の暇つぶし:Shopping Mall

アメリカ人のもっともお気に入りのPass timeの方法のひとつはShopping Mallをぶらつくこととだ、といわれています。ちなみに一番のお気に入りのPassing timeの方法はテレビをみていることだそうです。実際、WeekendにMallに行くとクリスマスShopping時でもないのにParkingに困るくらい混んでいます。家族連れからTeensまでわれもわれもといわんばかりです。私は姪の誕生日のカードとGAPのGift Cardがほしかっただけだし人ごみのShopping MallをぶらつくのはかえってStressがたまるのでいつもJust getting in, getting stuff I need, and getting outです。男の買い物みたい、と言われそうですね。

なんでShopping Mallがこんなにお気に入りの場所なのかなー、と人ごみのきらいな私は思います。False Dataもこういうところは好きではないのですが、彼は「みんな日常生活から失われてしまったSense of Communityを求めているのではないか?」と言っていました。確かにアメリカ人はよく引越しをするので、地域との結びつきが薄くなりがち、というのは事実でしょう。でも、私はアメリカの巨大なShopping MallでSense of communityが得られるとは思えないです。巨大な分Anonymousだし混んでいるし。あそこはむしろCommunityというより比較的治安が良くいろいろ目を楽しませてくれるものがある手軽な遊園地のようなものではないかと思います。

Saturday, March 03, 2007

日本語会話力が落ちてしまった!

この8月に日本を訪ねられそうです。5-6年ぶりなのでちょっと緊張ですね。私は多分バタ臭い変な日本人に見えるのだろうなー、などと思っています。今日は日本のTravel CompanyのアメリカOfficeのひとつに行って航空料金とか外国人向けの日本ツアーなどの情報を手に入れてきました。外国人向けのツアーに乗ってしまうとTravel Companyのほうで英語のガイドをつけてくれたりするようで、日本語の話せないFalse Dataには都合が良いし、私が通訳する必要もないのでかえって楽です。

応対してくれたTravel Companyの方はもちろん日本人でやり取りはすべて日本語。あっと驚いたことに、私はまともな日本語の会話ができない!このごろ日本人と向かいあって日本語でやり取りすることがほとんどないので会話力が落ちている!特にアメリカ人向けの日本ツアーのパンフレットはすべて英語で書かれておりそれをみながら日本語で会話をしようとすると思考が英語で走って行こうとしたり、それをあわてて日本語に置き換えたりと忙しくなり、文法や単語にまとまりがつかなくなってきて結局変な日本語の文章で話すことになってしまいました。ちょっとなさけないですねー。かといって私の英会話力はPerfectではないのです。このMeetingのあとでなんだか頭の統一が取れない感じでちょっとの間妙な気分でした。(下手でもなんでもとにかく)英語で日ごろお仕事をしたり会話をしているので頭がそれに慣れていて、いきなり日本語でものを考えながら会話をする状況に頭がついていけなかったということでしょう。