False Dataの受けるテストの規定の中に「Bring 2 #2 lead pencils or 2 mechanical pencils with HB lead」ということが明記されていました。鉛筆の濃さから本数まで細かに規定するあたりがLawyerの試験らしいと思いました。False Dataは「消しゴムについては何の規定もないからもって行ってよいのかわからないな。まあ、消しゴムつきのMechanical pencilsでも持っていけばいいだろう。」なんて言っていました。鉛筆と消しゴムをテストに持っていくのは当然、とは思わないようです。テストの規定にはっきり明記されていないことは「わからないこと」なのです。
日本だとテストを受ける学生は言われなくとも鉛筆と消しゴムぐらいは自分で持ってくると思います。試験を提供する側もそれを当たり前と取っていて、そうしない学生がいると「何を考えているのか?やる気はあるのか?」などど考えたりすると思います。
このような日本の学生とちがってアメリカの学生はめったに鉛筆を使わないし、ボールペンでノートを取ったりテストの答えを書いたりすることが多いし、間違えをぐちゃぐちゃとボールペンで塗りつぶしたり線を引いたりして見えなくするなどしょっちゅうだし、ペンの色も黒や青だけでなく赤だったり紫だったりします。「どんな色でも答えがキチンと読めるように書いてあればいいじゃないか」という感じです。マークシートのテストでもちゃんと言っておかないと「あら、鉛筆が必要だったの?そんなことテストの規定に書いてなかったから知らなかったわ」とか「忘れちゃった」と平気で言って試験官に「鉛筆を貸してください」と聞きます。でも、そういう学生が「A」をと取ったりするので頭が悪くてこのようにしているわけでもやる気がないわけでもないようです。
このような一見「言われなければわからない」かのようなアメリカ人の傾向は能力の問題というよりは「察する」とか「一を言われたら十を知る」ということがあまり期待されていない文化的背景から来ているのではないかと思います。日本で言う「察する」能力は家庭や学校での人間関係の中で小さいころから少しずつ訓練されなければ育たないものだと思います。アメリカ文化のなかではそのような訓練はあまりなされない、というだけの話でしょう。でも、このような能力が期待されている日本文化のなかでこれができないと問題かもしれませんが・・・・
Saturday, March 10, 2007
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